テーマ地域を活気付ける
ライオンズのふじまつり

地域を活気付けるライオンズのふじまつり
※この記事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で取材活動が行えないことから、過去の取材記事(ライオン誌2018年7・8月号特集)に最新情報を加え再編集したものです ※タイトル部写真提供/中津沖代ライオンズクラブ

全国を対象に緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請の中で迎えた今年の大型連休。中津市にある田尻緑地公園では、大小17基の藤棚の「のだふじ」が見事な花を咲かせていた。本来なら、中津沖代ライオンズクラブ(深邉昭二会長/80人)主催の「中津みなとふじまつり」が開かれる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止を余儀なくされた。

今年で第18回目を迎えるはずだったこの祭りは、中津の春を彩る催しとして地域に定着し、多くの市民に待ち望まれる存在になっている。

中津市は福岡県との県境に位置し、人口は約8万3000人。城下町の中津は藩政時代から、中国地方や上方との交通の要衝として発展した。近年は自動車産業の進出や東九州自動車道などの整備によって経済活動の広域化が進んで物流が増大。多目的国際ターミナルが整備されるなど、流通拠点として著しい成長を遂げている。2010年には全国103余りの重要港湾の中から、重点港湾43港の一つに選ばれた。その中津港を中心にした地域の発展に貢献したいと、中津沖代ライオンズクラブが02年に立ち上げたのが「中津みなとふじまつり」だ。

祭りは毎年4月最後の土日2日間にわたって行われる。メイン・イベントは市民グループや子どもたちによる踊りや音楽、伝統芸能のステージと、ライオンズ・メンバーが中津名物の唐揚げや焼き鳥、うどんなどの店を出す「美味いもん市」、そして港を舞台にした祭りならではの乗船体験だ。

メイン・ステージのある会場とシャトルバスで結ばれた中津港の岸壁では、海上自衛隊多用途支援艦「げんかい」の公開乗船と、ダイハツ専用岸壁での自動車専用運搬船の船内見学が行われる。乗船体験は特に子どもたちに大人気で、シャトルバス乗り場には長い列が出来る。

祭りの主役「のだふじ」は、クラブ結成翌年の1982年に姉妹提携を結んだ大阪福島ライオンズクラブから寄贈されたのを機に、株を増やしながら大切に育んできた。姉妹提携のきっかけになったのは、中津が誇る郷土の偉人、福沢諭吉だ。諭吉が生まれた大坂の中津藩蔵屋敷が、大阪福島ライオンズクラブが活動拠点とする現在の大阪市福島区にあったという縁が、二つのクラブを結び付けた。その友情の証しとして大阪から贈られたのが、のだふじだった。

大阪市福島区野田は古くからの藤の名所で、昔は「藤の宮」と呼ばれた春日神社には、室町幕府二代将軍の足利義詮や豊臣秀吉が藤見物に訪れている。日本固有種の藤には、つるが右巻きのフジ(ノダフジ)と、左巻きのヤマフジ(ノフジ)の2種類があり、「ノダフジ」の名前は植物学者の牧野富太郎によって野田の地名から命名された。しかし、この地ののだふじは戦中に空襲で潰滅状態になり、次第に人々から忘れられていった。地域の歴史を伝えるのだふじが消えゆくことに危機感を抱いた大阪福島ライオンズクラブは、70年代に再生運動に着手。学校や公園に苗木や藤棚を寄贈し、市民への啓発活動に努めて、藤の名所をよみがえらせることに成功した。毎年4月の開花時期に開かれる福島区の「のだふじ巡り」には多彩な催しがあり、大阪福島ライオンズクラブは「のだふじウォッチングスタンプラリー」を実施している。

中津に贈られたのだふじは、地域の歴史を守り伝える大阪福島ライオンズクラブの努力のたまものでもあった。

中津沖代ライオンズクラブは、贈られたのだふじを市内の数カ所に植えたが、その後90年に中津市が港に田尻緑地公園を造成した際、市の許可を得て園内にのだふじを移植。その後も大阪から苗木を取り寄せては藤棚を増やしていった。そして02年4月、第1回中津みなとふじまつりを開催。会場設営から模擬店出店まで全てメンバーの手で作り上げた祭りは、予想をはるかに上回る1万人余りの人出でにぎわった。その大成功により中津港の振興に貢献したことが認められ、クラブには国土交通省九州地方整備局から部外功労賞が贈られた。以来、中津みなとふじまつりは春の恒例行事となり、公園のある田尻地区や行政、地元企業の支援を受け、市内の中津、三光、耶馬渓(やばけい)の各ライオンズクラブの参加協力を得ながら継続してきた。

祭り開催に要する総予算約400万円は、地元企業の協賛金や「美味いもん市」の売り上げなどで賄う。美味いもん市は委員会ごとに売り上げ目標を立てて出店し、収益は福祉施設への支援などの奉仕活動にも活用している。実行委員会を中心に、協力団体との折衝や各種許可申請、広報、司会進行など役割を分担し、準備には半年を費やす。これほどの大事業を切り盛りするのは容易なことではないが、地域を盛り上げたいという強い思いが、毎回クラブ・メンバーを突き動かしている。

18年4月の第16回取材時は、花付きが悪く写真撮影にも苦労した

ライオン誌18年7・8月号の特集「地域活性化」では、この年の第16回中津みなとふじまつりを取材し、その模様とメンバーの奮闘ぶりを伝えた。しかし、この年ののだふじは花付きが非常に悪く、来場者から「今年はさびしい」という声が聞こえるほどだった。

そんな状況で誌面に載ることになったのが、中津沖代ライオンズクラブのメンバーには残念でならなかったらしい。祭り終了後の6月、大阪福島ライオンズクラブでのだふじ再生事業を主導した藤三郎さんを招き、藤棚整備の指導を受けた。それからは例年以上に熱意と愛情を注いで手入れした結果、翌19年には1mを超える花房が芳香を漂わせ、祭りの主役の座を取り戻した。第17回中津みなとふじまつりでは、その花を思う存分楽しんでもらおうと広場に100席分のガーデンテーブルセットを配置し、新緑の中でゆったり観賞してもらった。前年から一転、来場者からは「今までで最高の花付き」と称賛の声が上がった。

メンバーの情熱が実を結び過去最高の開花状況となった第17回(写真提供/中津沖代ライオンズクラブ)

18年4月の取材の際、実行委員長を務めていた秋吉智幸第1副会長(当時)は「毎回、来年はもっと良い祭りにしようという思いが生まれる」と話していた。クラブは次回はもっと見事な花を見てもらおうと、5月には花がら摘み、12月と2月には寒風に吹かれながら施肥や枝のせん定、誘引などの作業を実施。中津みなとふじまつり実行委員会は11月から準備に着手し、海上自衛隊など協力団体への依頼や調整を進めていたが、今年3月初めの例会で中止を決定した。

開催中止が決まった後も、メンバーは花の付き具合を確認するために何度も足を運び、花芽が育つのを見守ったという。「もっと良いまつり」を目指して、来春にはより一層美しい花を咲かせて、地域の人たちを元気付けるに違いない。

2020.06更新(文/河村智子 写真/宮坂恵津子)
*クラブ提供以外写真は2018年4月取材時に撮影したものです