歴史沖縄本土復帰を記念して
ジャブジャブ池を寄贈

沖縄本土復帰を記念して ジャブジャブ池を寄贈
沖縄本島コザ市の高台に建設されたライオンズ広場・ジャブジャブ池→『ライオン誌』73年9月号

1972年5月15日、第二次世界大戦の終戦から27年にわたりアメリカの施政下に置かれていた沖縄が、沖縄県として日本に返還された。日本ライオンズの302W複合地区(西日本)はこれを記念し、翌73年に沖縄本島コザ市(現沖縄市)の高台にあった沖縄こどもの国の中に、「ライオンズ広場・ジャブジャブ池」を寄贈した。

『ライオン誌』72年1月号に、東京文京ライオンズクラブのメンバーで作家の中山昌八が、本土復帰直前の沖縄を訪ねて書いた「わが町」という記事がある。その中で中山は、沖縄の歴史からひも解き、県民性に言及している。中山の記事で触れられているように、首里城を本拠に沖縄本島中部を治めた尚氏は、15世紀に入ると勢力を拡大し全島を掌握。3代目の王となった尚真(しょうしん)は琉球人本来の平和な心を高揚するために「平和宣言」を発し、王自ら剣を外して全土で武器を廃棄させた。しかし17世紀に入るや薩摩の島津氏が、非武装の琉球王国に侵攻し制圧、激しい搾取を続けた。第二次世界大戦では地上戦の舞台となり、多くの人命が失われた。戦後も沖縄は長くアメリカの統治下に置かれることとなる。「平和を愛する優しい心情と、情けに厚い民であったればこそ、苦難の中にも相互扶助的な隣人愛が生まれた」と中山は記す。

そうした特性はライオンズの奉仕の精神と響き合い、沖縄のライオンズは、まだアメリカ領だった58年に沖縄ライオンズクラブが結成されてから本土復帰までの14年間に、離島も含め9クラブに会員約500人を有するまでに拡大した。当初から本土のライオンズクラブと連携した活動も多く、ウェブマガジン2019年5月号「歴史」で紹介した「沖縄救ライ」もその一つだ。そして本土復帰を記念してのジャブジャブ池の寄贈が、沖縄のクラブが日本のライオンズクラブの一員として実施する最初の合同事業となった。

沖縄こどもの国の中に建設中のライオンズ広場全景

ジャブジャブ池がある沖縄こどもの国もまた、沖縄の本土復帰を祝して作られたものだ。日本政府に代わり沖縄・小笠原問題の解決を図ることを目的に設立された特殊法人・南方同胞援護会(73年、沖縄返還に伴い目的を達成したとして解散)が計画し、日本政府や多数の団体、企業、国民らの協力を得て71年に仮開園を迎えた。動物園と遊園地を備えており、当時は沖縄で唯一の子どものための遊戯施設だった。人口100万人に満たなかった同県で、仮開園式を含む3日間に25万人もの来場者があったというから、大きな苦難を経験してきた市民がこのように平和になったことを実感出来る施設をどれほど待ち望んでいたかがうかがえる。

とはいえ、本誌72年3月号に「沖縄こどもの国に夢を託して」を寄稿した阪久治郎(コザ ライオンズクラブ)によると、当初はまだ「訪れる人を楽しませるだけの憩いの場としての施設にはまだほど遠く、子どもの国としての名実が伴わないのが現状」だった。南方同胞援護会は、順次設備を拡充していく「マスタープラン」を策定し、そこには全国の小中学校の児童生徒からの募金で建てられる「こども博物館」を始め、「野外の水上ステージのある劇場」「ことりの島」「こどもの村」「つり橋」、そして全体の緑化計画や休憩所、熱帯植物園などがあった。が、これらはあくまで希望的展望で、資金繰りのめどは立っていなかったらしい。「ジャブジャブ池」もその一つで、子ども博物館の東側の傾斜地の利用と、工費3000万円、付帯設備1500万円の概算額だけが示されていた。

これに着目したコザ ライオンズクラブは「ライオンズ広場・ジャブジャブ池」を作ろうと3000ドル(約90万円)の資金を預託。県内ライオンズクラブによる会議でも、会員一人当たり5ドルの拠出が全員一致で採択された。が、両者を足しても5300ドル(約160万円)で、所要資金4500万円には到底足りない。そこでこれを南九州の、あるいは更に広範囲のライオンズクラブによる沖縄の日本復帰記念事業として協力を得るため、県内に特別委員会を設置して態勢を固めていった。
「南の果ての島のこの夢がやがては現実となって、子どもを中心に老若男女はもちろんのこと、肢体不自由児、盲人、その他恵まれない人たちの憩いの場として多くの人に喜ばれる奉仕となれば、何と楽しいことでしょうか」と、阪久はライオンズの手によるジャブジャブ池の完成を熱望している。

73年6月、302W複合地区大会で沖縄復帰記念事業として沖縄こどもの国にライオンズ広場・ジャブジャブ池を寄贈することが決議された。建設された丘陵地は、東に太平洋、西に東シナ海を眼下に一望出来る絶景スポットだ。25mプールとその周囲に200人分の観覧席、小学校低学年用のL型プール、幼児用の丸型プール3基、身体障害者用プール、その他に滑り台、水遊び場、ドロンコ池、更衣室、シャワー室、トイレなどが完備された。それまで沖縄県内にはプール施設のある学校は無かったそうで、意外にも泳げない子どもも少なくなかったという。ライオンズ広場・ジャブジャブ池の贈呈式が行われた73年6月28日、先生に引率されてやってきた小学生は、初めてのプールに少しの不安と大きな期待で目を輝かせた。この日は水に慣れることがテーマだったが、しばらくすると大はしゃぎする子どもたちの元気な声が、真っ青な空の下、高らかに響き渡った(73年9月号)

2020.05更新(文/柳瀬祐子)