テーマ手話への理解を広めようと
34年継続する無料講習会

手話への理解を広めようと34年継続する無料講習会

2019年11月12日(火)、通算656回目となる帯広鈴蘭ライオンズクラブ(五十嵐勉会長/19人)の「手話の会」が、帯広市グリーンプラザで開催された。これは同クラブが1986年に立ち上げ、以来毎月2回、34年間にわたって実施している無料手話講習会だ。きっかけは、クラブ最年長会員である髙橋延忠さん(92歳)が、今から36年前に経験した一つの出来事だった。

ある日、髙橋さんが経営する喫茶店「木かげ」に、常連客の吉永利夫さんが、見知らぬ男性と一緒に来店した。二人はコーヒーを飲みながら、身振り手振りを交えて楽しそうに話し始めた。が、不思議なことに声は一切聞こえてこない。

後で吉永さんに聞くと、一緒にいた男性は市内で理髪店を経営する菊地実さんで、ろう者であるため手話で会話をしていたのだという。吉永さんは続けて、耳の不自由な人は、外見上は障害が分かりにくいため、その障害が正しく理解されずに誤解を受けやすいこと。音による情報が遮断されるため、日常生活で不便な思いをしていることなどを話してくれた。そして吉永さんは、そうした誤解や不便を少しでも解消したいと手話を習得し、タクシー運転手として働く傍ら、菊地さんが会長を務める「帯広サイレント友の会」に所属し、手話通訳の活動もしているとのことだった。

髙橋さんはその話を聞き、大きな感動を覚えると共に、ろう者も本当は大変な話し好きなのだと思った。髙橋さんはその2年前(82年)に誕生した帯広鈴蘭ライオンズクラブに結成と同時に入会し、地域社会への奉仕活動に従事していた。そのため、それからも吉永さんから話を聞かせてもらいながら、耳が不自由な人たちのために何か役立つことが出来ないか、思いを巡らせていた。一方の吉永さんも、サイレント友の会の活動や聴覚障害者の窮状について話し、ろう者支援への理解を求めた。

髙橋さんはまず、ろう者の現状をクラブの会員に知ってもらおうと、菊地さんと吉永さんをゲスト・スピーカーとしてクラブ例会に招くことを提案。当時の会長もそれに賛同してくれ、86年4月の例会で菊地さんによる講演が実現した。菊地さんは緊張からか十分に気持ちを表すことが出来ない様子だったが、手話通訳を務めた吉永さんのフォローもあり、ろう者は社会や職場で差別を受けており、日常生活でも多くの不便があると話し、言葉が通じないもどかしさから、閉鎖的になりがちなろう者に手を差し伸べてほしい、と訴えて出席していた会員たちの感動を誘った。

クラブでは早速、自分たちに出来る活動を模索。病院や銀行などで意思がうまく伝わらないのは大変不便だろう、まずは一人でも多くの人に手話を理解してもらうことが肝要だと、毎月1回、手話講習会を開催することにした。

講師は吉永さんと、帯広ろう者協会の会員がボランティアで担当。市内のスーパーや銀行、病院の他、大きな事業所に呼び掛け参加者を募ったところ、多くの人が参加登録してくれた。そして86年9月26日、約80人の市民が参加して記念すべき第1回の手話講習会が開催された。この講習会はその後、受講者が100人を超えるまでに成長。その中で、帯広鈴蘭ライオンズクラブでは毎回7~8人の会員が出席して受付や会場設営を行い、講義が始まると、自分たちも生徒となって手話を学んだ。

更に翌年度からは、手話の習得には月2回の講習が必要と考え、以来毎月2回ずつ実施するようになり、現在に至っている。また4年目からは、講習会という単発的なイメージではなく、手話普及に向けた恒久的な取り組みにしようと、名称を「帯広鈴蘭ライオンズクラブ手話の会」と改め、受講者と指導者が一体となって活動する会へとかじを切った。

生徒の募集は市の公報などを通じて行い、90年代までは100人近くが登録し、そのうち毎回30~40人が出席していた。当初は銀行の窓口業務を担当する行員や病院の受付、看護師など、仕事の上で必要とする人の参加が多かったが、回を重ねるうち、小中高校生など青少年の参加も増えてきた。95年暮れに、この会を取材した時、話を聞かせてもらった女子高生は「小学校5年の時、お父さんと一緒に習い始めました。いま、看護師を目指して勉強しているので、将来、仕事の中で手話を役立てたい」と話していた。

こうして、長く継続して手話を学ぶ人も多いため、途中からはレベルに応じて三つのグループに分け、実施するようになった。が、帯広市は2000年をピークに人口が減少局面に入り、更に少子高齢化が進行していることもあって、ここ数年は参加者が少しずつ減り始め、現在では登録が20~30人、毎回の参加者が十数人という状態になっている。てこ入れのため、市内の事業所100カ所程度に呼び掛けると、一時的に参加者が増えるものの、以前のように継続する人は少ない。
「無料だから逆に欠席しやすい面もあるのでは、と指摘されることもあります。しかし、我々の活動は手話講習だけを目的としたものではなく、クラブとしてはあくまでも受講者と指導者、そして運営する私たちが一体となった『手話の会』として活動していくことを第一義に考えています」
と、クラブで「手話の会」を担当する福祉・視聴覚委員会の坪坂勝秀委員長は話す。そのために、毎年暮れにはクリスマス会、年度替わりには修了式を催し、受講者と指導者、ライオンズクラブの会員が一緒に食事やゲームで楽しいひと時を過ごすなど、会のコミュニケーションも図っている。

受講する人たちにもその意図は伝わっているようで、参加者の一人は「帯広鈴蘭ライオンズクラブの皆さんは穏やかで優しいので、手話の会はとても参加しやすいんです。それに、講師の武藤(正利)さんと、講師補佐をされている菊地(のり子)さん(菊地実夫人)は、お二人とも耳が不自由なんですが、こうしてろう者の方と実際に触れ合って、手話を学ぶ機会はあまりないので、とても貴重な会になっています。私はもう20年以上、参加させてもらっていますが、5年前からは義妹も誘って、二人で参加しているんですよ」と、話していた。

また、ライオンズクラブが長年継続している事業だけに、市にも認知され、市長が手話の会の見学に訪れることもある。3年前には「帯広市手話言語条例」も制定され、手話が少しずつ市民の間にも根付いてきている。10年前から吉永さんに替わって講師を務める武藤さんは、
「かつて東京の手話劇団を帯広に招いた時、最も協力してくださったのが、帯広市内のライオンズクラブでした。その後、帯広鈴蘭ライオンズクラブの皆さんが、手話を広めるからと言ってくれ、手話の会が立ち上がりました。ライオンズクラブのおかげで、帯広では手話が少しずつ広がってきています。ただ、手話言語条例が制定されても、手話が言語であるという認識はまだまだ薄いと感じます。『こんにちは』などのあいさつだけでも覚えてもらえたら、本当にうれしいのですが・・・」
と話し、ライオンズクラブにはこれからも「手話の会」を通じて手話の普及・啓発に協力してほしい、と期待を寄せていた。

2020.01更新(取材/鈴木秀晃)