投稿リポート 地域に捧げる食育と
レガシー"ゆめ田んぼ"

地域に捧げる食育とレガシー”ゆめ田んぼ”

札幌市立清田小学校の一角に80坪の水田がある。14年間、毎年この田んぼから児童たちの歓声が湧き上がっている。地名の「清田」とは、美しく清らかな水田が広がる土地という意味。かつてこの地域には美しい水田が広がっていたことを知ってもらおうと、札幌清田ライオンズクラブ(花房長男会長/106人)が2005年4月にクラブ結成20周年記念事業として校庭に造成し寄贈した「ゆめ田んぼ」だ。最初に田植えを体験した子どもたちは今、25歳になった。

清田小学校付近は明治の初め、現在の清田区で最初に稲作が試みられた場所。労苦を重ね、厚別(あしりべつ)川流域は見事な水田地帯になった。昭和50年代以降は急速に宅地化が進み、ゆめ田んぼは今や区内に残る唯一の水田である。田んぼの管理全般は、農業経験があるクラブ・メンバーが行う。雪が消えて水がぬるんだ頃に耕運機で田起こしと代掻き、苗の用意、植えた後は水張り・雑草取り・病害虫防止、そして刈り取った稲の乾燥と精米など、年間を通して手を掛けている。

5月下旬の田植えでは、子どもたちに苗の持ち方や植え方、田んぼの中での歩き方を指導する。メンバーが手ほどきをする中、児童らは北海道のおいしいお米「ゆめぴりか」の苗を持って水田に入ると、早速「冷たい!」「ぬるぬるしてる!」と大騒ぎ。中には、泥から足が抜けず身動きがとれなくなる児童も。「歩く時はつま先から入って、かかとから足を抜いて」とアドバイスを受けながら、横一列になって丁寧に植えていく。清田区長が一緒に田んぼに入って田植えをすることもある。

夏の間、児童らは稲の生育を観察。9月下旬の稲刈りでは、鎌で刈るコツを教わってから順番に、歓声を上げながら、さくさくと刈っていく。もちろん稲刈りは初めてという子ばかりだが、皆興味深そうに取り組んでいる。刈った稲はメンバーたちがその場で次々とはさ掛けにする。10月初旬には脱穀を体験。足踏み式の脱穀機は上手に踏まないと逆回転するので大変だ! 2019年はゆめぴりかともち米の「白鳥米」で合計約150㎏を収穫した。

昨年12月11日には清田小学校で恒例の餅つき会が開催され、清田区の小角武嗣区長や当クラブ・メンバーも招待された。児童代表が司会を務め、大桃規之校長、小角区長、当クラブの花房会長があいさつ、児童らが「お礼のごあいさつ」を返した。PTAと札幌国際大学の方々が朝から準備して蒸したもち米を、5年生2クラスの児童が慣れない手付きながら次々とついていった。お餅は、キナコ・みたらし・あんこで味わう。甘納豆入りのお赤飯とお雑煮も頂いた。ゆめぴりかは毎年調理実習の授業で、カレーライス作りに使われているそうだ。

共同で作業することの喜びと楽しさを体感し、食を支える米がどのように作られているのか、手を掛けた作物がどのように成長してゆくのかをを知識だけでなく体験を通して知ってほしい。それにより安全な食に対する関心と感謝の心が芽生えてくれれば。触れる、感じる、育てる、作るなど、心が豊かになるよう願いを込めて、ゆめ田んぼ事業を実施している。

清田区は07年11月に区誕生10周年を迎えたのを記念して、12件の「清田ふるさと遺産」を決定した。未来に引き継ぐべきものとして、区民から募集した候補85点から選定された。その一つに清田小学校のゆめ田んぼが、「開拓当時の清田の田園風景を思い起こさせてくれる」として選ばれた。私たちが寄贈したゆめ田んぼが、街の風景に溶け込んだのだ。

日本で2743番目、札幌市内で22番目のライオンズクラブとして85年に誕生した札幌清田ライオンズクラブ。初代会長が掲げたスローガン「地域に捧げる奉仕の心」が脈々と受け継がれ、ゆめ田んぼにつながった。そして私たちはこれからも、児童たちの歓声を生み出していく。
 
2020.01更新(社会開発委員長/林義隆)