歴史みんなで大阪万博へ行こう!
身体障害者センターを建設

みんなで大阪万博へ行こう! 身体障害者センターを建設
ヘルパーとして車いすを押すマッカロウ国際会長

1970年3月15日から9月13日までの183日間にわたり、大阪府吹田市で日本万国博覧会(大阪万博)が開催された。日本初、かつアジア初の国際博覧会だ。テーマは「人類の進歩と調和」。さまざまな国や都市、企業等による116ものパビリオンでは、アメリカ館の月の石やソビエト館の宇宙開発展示を始め、人類の高い理想を展示。広場やホールでは多彩な催し物が華やかに繰り広げられ、大人も子どもも輝かしい未来を夢見て胸を躍らせた。

大阪万博では、目標の3000万人(後に5000万人に修正)に対し6422万人が来場。これは2010年に上海万博が7308万人を記録するまで、史上最多入場者数であった。大阪万博のシンボルとなった岡本太郎氏による「太陽の塔」は、万博終了後に会場跡地を整備して作られた万博記念公園で、今もその勇姿を誇っている。

大阪万国博覧会で日本ライオンズが建設した身体障害者センター→『ライオン誌』70年3月号

日本・大阪での万国博覧会開催が決定したのは1965年。翌66年には早速、日本ライオンズの302W-1地区(大阪府、和歌山県)、302W-5地区(京都府、滋賀県、奈良県)、302W-6地区(兵庫県)が万博への協力を決議した。その後日本ライオンズ全体でバックアップすることになり、日本万博対策委員会(後に日本ライオンズ万国博委員会に改称)を設置。万博協会とも折衝して具体案を煮詰め、障害者が見学する際に便宜を図ったり休憩所となるような「身体障害者センター(Aid Station for the Handicapped)」を会場内に建設することを決定した。

日本中が万博で盛り上がっている。障害がある人も同じように万博を心待ちにし、始まったら存分に楽しんでもらえるようにしよう。センター建設のために会場内を回るモノレールの東口駅に隣接する360平方メートルが提供され、障害者用大型バス4台と乗用車10台分の駐車場も確保された。190台の車いすや障害者用の会場案内パンフレットを用意し、視覚障害者用点字タイル、身体障害者用トイレなども整備。また「進歩」をうたった万博らしく、聴覚障害者とのコミュニケーションをサポートするために手話通訳者とつながったテレビ電話が、センター内に置かれた。万博協会側も障害者のサポートに力を入れ、車いすのままセンターからモノレールに乗り降り出来るようスロープを設けた他、全てのパビリオンに車いすで入場出来るようにした(直前の67年カナダ・モントリオール万博で入場可能だったのは55%)。身体障害者センターは基本的に混雑の激しい日曜祝日を除いての運営となった。

日本ライオンズが寄贈した障害者用の会場案内パンフレット

70年3月15日、いよいよ日本万国博覧会が開幕。会場東ゲートを入ると、ライオンズ・カラーである黄色と紫のとんがり屋根を乗せた身体障害者センターが、障害者たちを出迎えた。計画段階では何人くらいの人たちに利用してもらえるのか見当がつかなかったが、オープンしてみると1日300人を超す人々が訪れた。ライオンズは女性スタッフ2人を雇いセンターに常駐させた。またライオンズ会員は毎日交代で12人ずつヘルパーとして詰め、車いすをセットしたり、お茶を入れたり、茶碗を洗ったりと大忙しだ。

各地のライオンズクラブが、障害者を万博に招待し引率してやってきた。高槻ライオンズクラブ会員32人は、市内の障害児36人と共にセンターを利用。車いすを押しながら会場を見学して回ると、子どもたちはとてつもなく大きな建造物や珍しい展示物に歓声を挙げた。茨木ライオンズクラブが来た日はあいにく土砂降りの雨。それでも子どもたちは大喜びで、車いすを押すライオンズ会員も晴れ晴れとした満足感をかみしめた。後日届いたお礼状がある。

「降りしきる雨にもめげずに障害者のため手となり足となり、時にはガイドにもなって頂き、ただただ感謝の他はありません。万博会場への見物なんてとても無理と思っていましたが、皆々様の善意のおかげで世紀の祭典である万博会場で一日を楽しく過ごさせて頂いたことは生涯忘れることは出来ません」

夢に見た万博にやってきて大喜びの子ども→『ライオン誌』70年8月号

他にも、ライオンズ会員は万博を成功させようと大活躍。医師の会員は、万博協会からの依頼を受けて医療奉仕を行った。万博会場には中央、東、西の3カ所に診療所が設けられていたが、人出の多い日曜祝日には東と西の診療所で手が足りなくなった。そこで外科医のライオンズ会員が休日のみ、朝9時~夜10時までを前後半に分け、1日に計5人ずつ診療所に入ることになったのだ。患者は1日40~50人ほど。そのほとんどは軽症者で、靴擦れや段差・階段を踏み外した人、または楽しみで前夜よく眠れなかった上に暑さや人混みで疲労が倍加され、腹痛や頭痛、貧血を訴えるものだったそう。こうした医師会員はライオン誌でも「万国博見物の心得」として、来場までの疲労を出来るだけ少なくすること、飲食物に十分注意することなどを喚起している。

身体障害者センターでヘルパーとして精を出すライオンズの会員→『ライオン誌』70年9月号

8月末にはライオンズクラブ国際協会のロバート・マッカロウ国際会長が、身体障害者センターを訪問した。自らもヘルパーを体験し、この取り組みを称賛。また自身が外科医であることもあり、医療奉仕に従事する会員らとも懇談し、その労をねぎらった。そしてマッカロウ会長は、76年のアメリカ・フィラデルフィア万博でも日本のやり方を取り入れるよう、アメリカのライオンズに提案したいと強調した。

身体障害者センターの建設費及び運営費は4100万円。万博期間中に約5万人がここを利用した。センターでヘルパーとして活動したライオンズクラブやレオクラブの会員は延べ1656人、また医療奉仕を行った医師メンバーは150人に上った。

2019.07更新(文/柳瀬祐子)