歴史沖縄救ライ:
最大の敵は無知と偏見

沖縄救ライ:最大の敵は無知と偏見
1969年、大阪府・高槻ライオンズクラブはバザーと画展を開催し、沖縄救ライ事業の資金調達に協力した→『ライオン誌』69年5月号

1968年6月、北海道札幌市で行われた日本ライオンズの第14回全国大会で、全国合同奉仕活動として「沖縄救ライ」が決定した。日本のライオンズがハンセン病対策を取り上げたのは、「インド救ライ」(59年~)以来のことだ。沖縄救ライ協力金としてライオンズ・メンバー一人1000円、合計7600万円が集められ、69年に東京で開催されたライオンズクラブ国際大会で、財団法人沖縄らい予防協会へ贈呈された。

合同奉仕のきっかけとなったのは、67年に日本政府によって行われた沖縄県宮古・八重山諸島のハンセン病集団検診だ。学童検診では47人の患者が発見され、沖縄全土では新患者が170人を超えた。この結果は沖縄の地元紙だけでなく全国紙でも「沖縄離島にハンセン氏病流行」などの見出しで報道され、全国的に沖縄のハンセン病に対する関心が高まった。当時、日本ライオンズは14の地区に分かれていたが、各地区のリーダーの半数が医師だったこともあり、「10年も前からインド救ライに取り組んできた日本ライオンズが、沖縄を看過出来るか。我々の時代に取り上げて、成功させよう」となった。

ハンセン病療養施設・愛楽園の入居者住宅

ハンセン病は「らい菌」によって主に皮膚や末梢神経が侵される感染症である。顔面や手足などに残る後遺症が目立つことなどから、古くから恐ろしい伝染病、不治の病と忌み嫌われ、天刑病などと呼ばれることもあった。しかし実際には、らい菌は日常生活の中で感染することはまずないほど感染力が弱く、感染したとしても発症に至ることはまれだ。そして43年に治療薬が発見され、早期発見、早期治療によって完治する病気となった。治療中及び治癒後に感染することもない。

日本本土では35年以降、ハンセン病患者を完全収容する強制隔離政策を推し進め、治療薬が発見された後もそれは変わらず続けられた。一方、戦後アメリカ軍の施政権下にあった沖縄では、本土とは異なるハンセン病対策が取られた。世界保健機関(WHO)の方針である通院による治療が行われたのだ。これは日本以外のアジア各国でも共通する、ハンセン病のコントロール策だった。病気に対する啓発活動も進められた。屋我地島にあるハンセン病患者の療養施設・沖縄愛楽園でも、治療により完治した人たちが相次いで退園していった。かつてこの療養所の建設を巡っては、地元の強い反対があった。ハンセン病に関する誤った認識や迷信によるものだ。66年には沖縄らい予防協会が那覇市にスキン・クリニックを建設し、外来診療所を開いている。

ある日の昼下がり、囲碁を打つ愛楽園の入園者

しかし世界基準の対策により沖縄の人々にハンセン病に関する正しい情報が行きわたったかといえば、決してそうではない。あいかわらず偏見は根強く、患者が出たことを隠そうとする家や集落があった。ハンセン病自体は薬で治療出来る他の病気と変わらないが、人々の意識が問題を複雑にしていた。必要なのは「啓発により偏見をなくすこと」「早期発見・早期治療」「回復者の社会復帰」だった。そうした状況の中で、日本全国のライオンズクラブによる合同奉仕が始まったのである。地元紙はこれを大々的に報道した。時の琉球政府からはライオンズに感謝の電報が送られた。ライオンズは沖縄救ライ委員会を立ち上げ、現地を視察し事業の詳細を詰め、琉球政府や米軍へも支援を要請した。沖縄らい予防協会はライオンズから贈られた7600万円で、那覇市のスキン・クリニックの増改築を行い、予防・治療のセンターとしての機能を充実させた。また石垣島には、研修生の宿泊施設や離島から来た患者のための宿泊所がある社会医療センターを建設した。愛楽園にも研修生寄宿所が出来た。

沖縄救ライ委員会の一員だった沖縄ライオンズクラブの与那原良昭は、『ライオン誌』69年5月号の同委員会委員による座談会でこう言っている。
「日本全国の7万人のライオンズ・メンバーが沖縄救ライに立ち上がったことで、ライの問題が沖縄の社会の表面に出てきたのが、非常に大きな成果ではないかと思うんです。結核も今では風邪と同じような感じで、治療すれば治ると思われています。沖縄のライもそういうふうになりつつあるわけで、その点で金額以上のすばらしい効果がありました」

ライオンズの協力金で増改築された那覇市のスキン・クリニック→『ライオン誌』69年12月号

ライオンズの活動が報道などを通じて広まる中で、進んで医師の検診を受ける人が増えていった。また合同奉仕だけでなく、個々のライオンズクラブも募金活動やチャリティー・イベントを実施し支援を続けた。これらの資金の大部分は患者の治療ではなく、偏見をなくし正しい理解を得るための啓発資料、早期発見のための医師や職員、保健師らの教育・研修などに使われた。心をむしばむらい菌との闘いである。

*現代では「らい病」という言い方は差別的な用例として避けられていますが、記事内では「沖縄救ライ」などの名称を当時のまま使用しています。

2019.05更新(文/柳瀬祐子)