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最前線に立って活躍する

災害ボランティアの最前線に立って活躍する
2017年8月に発生した北海道十勝水害の被災地で現地調査

昨年2018年の西日本豪雨では、発災の翌日に広島に入りました。最初に安芸高田市の災害ボランティアセンターの立ち上げを手伝い、それから三原市に回りました。ここでは被災現場近くに作ったサテライトがうまく機能していなくて、その手伝いに行ったんです。周囲はまだ土砂に埋もれていて、大変混乱した状況でしたが、若いスタッフと力を合わせて立て直していきました。

私が被災地で支援活動を行うようになったのは、1995年の阪神・淡路大震災からです。当時うちの会社は建築の仕事をしていて、会社として救援物資を送ろうということで、仮設トイレや日用品などの物資をトラックに満載して神戸市へ向かいました。救援物資の集積所になっていた東灘区役所で救援物資を下ろし、トラックを空にしたら帰るつもりでしたが、区役所から避難所へ運搬する手立てがないということで、それから1カ月ぐらい、トラックで物資を運びました。

2004年に発生した新潟県中越沖地震の被災地における救援物資の搬送

04年に起こった新潟県中越地震でも同じような活動をしましたが、10年に転機となる出来事がありました。一緒に釣りにいった友人が湖に転落し、救急車が到着するまで心肺蘇生を行ったんです。その時には応急手当普及員の資格を持っていましたが、助けることは出来なかった。もしまた同じような状況になった時に、命を助けられるスキルを身につけたいと思い、赤十字救急法救急員と防災士の資格を取りました。でも、それだけでは救急法に関する専門的な知識までは得られないので、アメリカ心臓協会の救命コースで学びました。この協会は日本の医師や看護師の方々が救急法を勉強する団体で、現在は指導員として、年に2~3回は看護師の卵たちに救急法の指導をしています。

防災士の資格を取った後、最初に起こった大災害が11年の東日本大震災です。会社の車は緊急物資を輸送する規制除外車両として警察署に届出をしていたので、発生翌日に標章をもらって宮城県気仙沼市へ向かいました。それから1カ月ほど気仙沼で活動しましたが、防災士の資格があることで災害対策本部でも信頼してくださり、行政支援のような形で物資の運搬や、ボランティアさんを現場へ送り届ける役目を引き受けていました。

そうした被災地支援を続けるうちに多くの出会いがあり、「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」、通称「支援P」の人たちと知り合いました。支援Pというのは、全国社会福祉協議会や中央共同募金会、NPO、企業などが作るネットワークで、ボランティアセンターの立ち上げや運営の支援を行っている組織です。15年に茨城県常総市で水害(関東・東北豪雨)が発生した時、ボランティアセンターの運営スタッフが足りないということで、支援Pの方から「井上さんは下積みが出来てるから」と声を掛けて頂きました。その前に、気仙沼で知り合った支援Pの方に勧められて、ボランティアセンターの運営者研修を受けていたんです。運営のノウハウを学ぶ3日間の研修で、受講者の9割方は社協の職員でした。非常に実践的な研修で、その中で言われたのが「災害現場はどれ一つ同じものがないので、今学んだことがそのまま役に立つとは限らない。経験と先を見通す力で臨機応変に乗り越えるしかない」ということでした。

初めてボランティアセンターの立ち上げに関わったのは、16年4月の熊本地震の時です。地震発生後すぐに支援Pから連絡があり、翌日には熊本市に入って、先輩と2人で熊本市社協をサポートしました。

北海道十勝水害発生後、社協職員と共に被災者宅を回って被害状況の聴き取りを行った

ボランティアセンターを作る時にまず最初にすることは、設置場所の選定です。社協の多くはあらかじめ場所を想定していますが、熊本市の場合はその建物が被災して使えなかったので、急きょ以前バスターミナルだった中心部の公園にプレハブを建てることになりました。それから、人員の確保ですね。社協の職員から確保出来る人員の他に、地元の自治会や防災士会、被災地支援に取り組むNPOなど、普段から社協と協力関係にある団体や個人に連絡を取って、スタッフとしてお手伝い頂きます。

それと並行して、ボランティアの受け付けを始める前に、作業の依頼者を見付けるという仕事もあります。ボランティアによる作業は、被災した方から作業の依頼があって初めて実施出来るものです。しかし、ニーズのある側はボランティアに依頼出来るということを分かっていないので、センターの活動がニュースになってから連絡してこられる方がほとんどです。センターが立ち上がればすぐに大勢のボランティアが集まってこられるので、その前に被災されたお宅を1軒ずつ回って要望を聞き出していくんです。被災者の方からは、お金は掛からないの?とか、食事を用意しなきゃいけないの?といったことをよく聞かれて、ボランティアとはなんぞやということから説明しなくてはなりません。

熊本の場合は、ボランティアセンター立ち上げの翌日に、200件の作業ニーズに対して1000人近いボランティアが集まりました。すぐに被災地に入られる方には、ボランティアのベテランが多いんです。車で何時間もかけて真っ先に現場に駆け付けてこられた方々に、作業がないからとお断りするのでは申し訳ない。そうした場合は、依頼人数10人の現場に30人を派遣するという方法を取ります。特に夏場は休憩をこまめに取りながら作業してもらうので、3交替制にすることによって、休憩を取りながらも絶え間なく作業が回ることになって効率も上がります。

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)において、広島県三原市の被災者宅を戸別訪問し、災害ボランティアの活動状況などを確認

被災地が広範囲にわたった西日本豪雨の時は、広島県だけで30カ所にボランティアセンターが出来ました。私が入った三原市はかなりの被害が出ていましたが、運営スタッフもボランティアもぜんぜん足りなかった。報道では局所だけが取り上げられるので、その場所のボランティアセンターに物も人も集中するということが起こります。呉はパンク状態で、人の足りない三原に行くようお願いしても、交通が遮断されているので何時間も掛かってしまう、ということが起こりました。

これまでに、全くの一人でボランティアセンターを立ち上げた経験が2回ありますが、そのうち1回が西日本豪雨で被災した安芸高田市です。社協職員にはボランティアセンターの運営経験がなく、研修も受けたことがないという状況下で3日間お手伝いをしました。マニュアルも機材もないし、設置場所も決まっていないということで、私が理事をやっている立川市社協のマニュアルに従ってセンターを立ち上げました。大規模災害が発生すると社協は業務を災害に集中させますが、水害の場合は被災エリアが限定的になることが多く、他のエリアでは普通の生活が送れるので、デイサービスや障害福祉などの通常業務を削ることは出来ません。安芸高田市の場合も被災地域がそれほど広くなかったので、職員の半分ぐらいは通常業務を続けながら、ボランティアセンターを運営することになりました。地域の協力を得ながらうまく立ち上げることが出来たと思います。

災害ボランティアの受付の様子

これまで活動してきた被災地では、ライオンズクラブのメンバーとの出会いもありました。ボランティアセンターの運営に携わる立場から非常にありがたかったのが、地元のライオンズクラブや全国から集まった会員有志の皆さんによるボランティアに対する炊き出しです。作業から戻ったボランティアを「お疲れさま」とねぎらいたい気持ちは我々スタッフにもあるのですが、通常業務があるので手が回らないんです。各地の被災地で何度も顔を合わせるメンバーもいて、そうした方々とは今も交流が続いています。また、三原市のボランティアセンターでは、地元のライオンズ・メンバーが毎日のように救援物資を届けに来てくださいました。作業のボランティアとしても協力してくれて、時には「あそこのおばあちゃんは独り暮らしで助けを待っているよ」といった情報を教えて頂いたこともありました。ライオンズ・メンバーのように、その地域の実情をよく分かっている方がいてくださると非常に頼りになります。

大きな災害が起こった時、即座に動ける人というのはすごく限られています。ライオンズクラブでも、初動態勢について話し合っておくことは重要だと思います。自分たちに出来ることをあらかじめ共有しておけば、いざ災害が起こった時に実践することが出来ます。立川市社協では災害に備えて平時から地域の団体と良い関係を築いておこうと取り組んでいて、私は東京立川ライオンズクラブから出向して社協の理事を務めています。地域で災害が起こった時には、私が社協との窓口になってクラブに出来る支援活動を進めることにしています。

2019.05更新(取材・構成/河村智子)

いのうえ・ひでのり:1968年、立川市生まれ。中央大学中退後、米国建材会社のシアトル支店に勤務。3年の勤務後に帰国し、2011年から小室ホールディングス株式会社代表取締役社長。東京消防庁応急手当普及員、アメリカ心臓協会一次救命指導員、日本防災士会東京都支部役員の他、保護司として活動する。理事長を務める立川南口商店街振興組合では、毎年12月に大規模な防災フェアを開催している。04年東京立川ライオンズクラブ入会、17-18年度幹事。