歴史 スズラン給食:
子どもたちに "義務栄養"を

スズラン給食:子どもたちに “義務栄養”を

日本にライオンズの灯がともってから12年、「スズラン給食」と呼ばれる奉仕活動が生まれた。岩手県・藪川の子どもたちに完全給食を提供するために実施されたライオンズクラブの奉仕活動だ。この美しい名を得た活動は日本国民の心に響き、政府をも動かして全額国庫予算による辺地校での給食提供へとつながっていく。

1964年、岩手県・盛岡ライオンズクラブの中村七三は、藪川小・中学校の宮五郎校長から、児童・生徒の食事事情についての話を聞き、ひどくショックを受けた。別の要件で懇談する中で、たまたま出た話であった。玉山村の藪川集落は盛岡駅から距離にして約50km、バスに2時間揺られた終点から更に2時間歩いた先にあった。標高900mの寒冷地で米はあまり育たず、人々はヒエやアワを主食にしていた。当時、藪川校はへき地度が上から2番目に高い第4級の辺地校だった。特にこの年は春が遅かった。雪解けが1カ月遅れ、ヒエをまく時期を失った。人々は凶作に備えて昼食を抜いた。学校でも弁当を持ってこない子が4割、持ってきてもヒエ飯に塩か味噌を添えただけの子もいるという。

中村は早速、盛岡ライオンズクラブで、子どもたちへの支援を議題に挙げた。最初は今すぐにもパンを届けて空腹を満たしてやりたいと、ただ気が急いたが、協議を重ねるうちに問題の全体像に目が向くようになった。これはその場しのぎで何とかなるようなものではなく、藪川だけの問題でもない。成長期の子どもが日々必要な栄養を得ることが出来なければ、子どもの一生を粗末にすることになる。全国の辺地校の生徒数は14万人。国の政策として対処する他に根本的な解決は無い。

1960年代半ばの岩手県藪川小・中学校

そのためには国がこの問題に目を向けるきっかけが必要だ。そこでまずは自分たち盛岡のライオンズクラブが、首都圏のクラブにも協力を求めて藪川校への支援を進め、突破口を開くことにした。名付けて「都市とへき地を結ぶ愛の交換方式」。富める者が一方通行で金品物資を与えるのではない方法だ。藪川の人々にとっては有るだけのものしか食べられないのは当然の理で、自分たちを貧しいとは思っていない。子どもたちは明るく、空腹で腹痛を起こしても「三食食ってねえだけだ、心配ねえ」と事も無げに言う。盲目的な同情や施しを受ければ、肩身の狭い思いをさせたり、劣等感を植え付けてしまったりしかねない。

「愛の交換方式」はこうだ。藪川の山にはたくさんのスズランが自生している。スズランは荒れ地に育ち美しく芳しい花を咲かせる。まるで藪川の子どもたちのようだ。盛岡ライオンズクラブは、子どもたちにスズランを摘んでもらい、それを首都圏のクラブの例会で売って給食費に充てることを提案、東京や横浜の26クラブが賛同した。子どもたちはスズランを摘むと、10km離れたバスの終点・岩洞まで背負って下る。岩洞から盛岡駅までは岩手中央バスが、盛岡から東京までは国鉄が、無償での運搬を申し出てくれた。善意のリレーで東京に到着したスズランは、ライオンズ・メンバーが集う例会場をその芳香で満たした。

ライオンズは事の重要性を端的に表現するために、「義務教育」に対する「義務栄養」を提唱。スズラン給食事業を題材に、「へき地に無料給食を」という強力なキャンペーンを開始した。県教育庁、地元玉山村教育長、県保健体育科とも密接な連絡を取る一方、毎日新聞とTBS系列のテレビ、ラジオ局に報道と支援を要請した。

全国メディアで取り上げられると、大きな反響を読んだ。盛岡ライオンズクラブには日本中から多くの手紙や大量の支援物資が届き、藪川校や県教育委員会へも数百万円の義援金が寄せられた。こんなこともあった。盛岡ライオンズクラブのメンバーがスズランを入れた大箱を二つ持ち、横浜へ向かう汽車に乗り込んだ時のこと。一人の初老の女性が「ライオンズの方ですね。この度は立派なお仕事をありがとうございました」と声を掛けてきた。するとたちまち10人ほどの乗客に囲まれて質問攻めにあった。中には「ぜひ自分にもそのスズランを売ってほしい」と言う人もいたという。

へき地問題が一躍脚光を浴び社会的反響を巻き起こす中、時の佐藤栄作首相は辺地校への給食特別対策費として、その年の予備費から5億円を支出することを緊急指示。翌年以降は辺地給食が予算化されることが決定された。辺地校を抱える日本各地の市町村でも学校給食に対する関心が一挙に高まり、優先的に取り上げられるようになった。

1965年7月6日、藪川小・中学校で初めて完全給食が実施された。献立は、パンと牛乳、カレーシチュー、バナナで700kcal。ライオンズクラブから贈られた食器に盛られて机の上に並んだ。子どもたちはピカピカの食器に歓声を上げ、見慣れぬ豪華な昼食に唾をのんだ。バナナを初めて見る子、皮をむくことを知らなかった子もいた。カレーシチューを少しスプーンですくって口へ。「うんめ~!!」。みんな残さず奇麗に平らげた。

2018.07更新(文/柳瀬祐子)

IBC岩手放送公式Youtubeチャンネル「いわてアーカイブの旅」第4回から
(スズラン給食の動画は開始40秒から始まります)