テーマ 夏の風物詩として定着した
チャリティーほおずき市

夏の風物詩として定着したチャリティーほおずき市

横浜東戸塚ライオンズクラブ(渡邊憲行会長/35人)は7月13日、横浜市戸塚区名瀬町にある妙法寺で、恒例のチャリティーほおずき市を開催した。1996年から実施しているもので、今年で23回目。今では戸塚の夏の風物詩として地域にしっかり定着している上、ほおずき市に合わせて縁日的なイベントも併催しているため、この日を楽しみにしている市民も多い。

ホオズキは一鉢1500円で販売。また縁日イベントでは焼きそばや焼き鳥、かき氷などの屋台で会員たちが腕をふるう他、チャリティー・バザーや子どもたちが喜ぶ射的とおもちゃのコーナーも設置している。それらを合わせると、毎年約30万円から50万円の収益があり、それを戸塚区社会福祉協議会、神奈川新聞厚生文化事業団、神奈川被害者支援センターへ寄付している。

ほおずき市というと、東京・浅草の浅草寺が有名だが、最初に始めたのは東京・芝の愛宕神社で、どちらも四万六千日(しまんろくせんにち)の縁日がきっかけとなっている。

古来、毎月18日は「仏様と特別なご縁のある日」という意味を込めて「縁日」と呼ばれ、この日に参拝すると、大きな功徳があるとされていた。それが、室町時代以降、毎月1回新たに「功徳日」という縁日が設けられ、功徳日の参拝は何百日、何千日分にも相当するとされた。功徳日は寺社によって異なり、浅草寺では月に1度の功徳日を設け、特に7月10日は4万6000日分の功徳があるとされ、「四万六千日」と呼ぶようになった。こうして江戸時代には、四万六千日に合わせて参拝する人が増え、更に気の早い江戸っ子が前日から寺を訪れるようになり、7月9、10日の2日間を四万六千日の縁日とみなすようになったそうだ。

その後、四万六千日の縁日は他の寺社でも行われるようになり、愛宕神社ではこの日にホオズキの市が立った。愛宕神社の縁日では薬草としてホオズキが売られていた。ホオズキを煎(せん)じて飲むと、子どものかんの虫や女性の癪(しゃく)によく効くと言われ、これを参拝土産に持ち帰るのが通例だったという。そしてそれが四万六千日の本家、浅草寺に波及し、やがて愛宕神社をしのぐほおずき市として活況を呈するようになった。

ホオズキは、漢字では「鬼灯」「鬼燈」と書く。その形からお盆で先祖が帰ってくる時の道を照らす提灯になるとされ、また先祖が空洞になっているホオズキの中に身を宿して過ごすとも言われ、お盆の精霊棚には欠かせない供物となっている。特に東京を始め関東の一部では7月にお盆を行う地域があり、7月9、10日の四万六千日はちょうどお盆の前でもあり、盆棚飾りとして求める人も多い。

現在では、全国各地の寺社などでほおずき市が開かれている。横浜にも、50年前から開かれている伊勢佐木町のチャリティーほおずき市や、今年で31回目となる泉区中田地区のほおずき・あさがお市などがある。前者は伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合、後者は中田花卉組合、中田連合自治会、中田地区社会福祉協議会が一体となって実施している。横浜東戸塚ライオンズクラブのチャリティーほおずき市は、この中田地区のほおずき・あさがお市をヒントに始まった。これは中田花卉組合に加盟する7軒の花屋が、地域の福祉活動に役立てるために発案したもので、売上金は原価を除いて全額寄付に充てられている。

中田地区のほおずき・あさがお市が始まって5年ほどが経ち、徐々に知名度が上がってきた頃、横浜東戸塚ライオンズクラブとしての奉仕活動を模索していたメンバーの一人が、このチャリティー企画に注目。クラブの事業として実施したいと考え、ほおずき・あさがお市で中心的役割を担っていた中田花卉組合の伊澤博さん(伊澤緑産)にほおずき市の企画を話し、伊澤さんを横浜東戸塚ライオンズクラブの会員として招請した。

が、伊澤さんは、7月初旬は中田地区のほおずき市だけでも忙しいと、これを固辞。それでも、その会員はいっこうに諦めず、なんと3年の月日を費やして伊澤さんを説得し、クラブへ招き入れた。そして96年から、伊澤さんのノウハウを生かし、横浜東戸塚ライオンズクラブとしてチャリティーほおずき市を開催するようになった。最初の2年ほどはJR東戸塚駅に近い空き地を会場に実施した。が、その頃はちょうど、後に東戸塚のシンボルとなる商業施設オーロラシティ(99年開業)を始め、駅周辺の開発が進んでいたため、場所の変更を余儀なくされた。

あれこれメンバーのつてを頼って場所探しに奔走する中、会員の知人で、後にクラブへ入会する妙法寺の住職、久住謙是(くすみけんぜ)さんが企画に賛同。寺の境内や駐車場をほおずき市の会場として開放してくれることになった。以来今日まで、毎年7月第2土曜日は妙法寺で横浜東戸塚ライオンズクラブのチャリティーほおずき市が開催されることが恒例となった。また会場を提供してくれる妙法寺では、現住職の久住謙昭(くすみけんしょう)さんも同クラブに所属、当日は会場の提供だけではなく、檀家さんの協力を得て流しそうめんのコーナーを担当している。

こうして横浜東戸塚ライオンズクラブの継続事業となったチャリティーほおずき市は、04年からは横浜鶴見西ライオンズクラブ(前田龍二会長/23人)へも波及。横浜東戸塚ライオンズクラブのノウハウを受け継ぎながら、毎年7月第1土曜日に、鶴見神社の境内で同じようなほおずき市を開催しており、今年7月6日の市で16回目となった。

横浜東戸塚ライオンズクラブが奉仕地域とする東戸塚地区は、かつては「陸の孤島」と呼ばれ、鉄道の駅もなく周辺はほとんどが山林と農地だった。が、地元住民の1世紀を超える請願運動の末、1980年に東戸塚駅が開業すると状況が一変。住民たちが自らの手で街の開発に乗り出し、今では横浜でも屈指の近代的な街へ変貌。東戸塚は「民間活力によって生まれた街」と呼ばれるようになった。

そんな街で開かれるチャリティー・イベントだけに、主催するライオンズクラブも、参加する市民も、それぞれが楽しみながら、我が街の福祉に貢献している様子がうかがえる。東戸塚でほおずき市と言えばライオンズクラブ。横浜東戸塚ライオンズクラブのチャリティーほおずき市は、そんな形容詞も大げさでないほど地域に密着し、市民も一緒になって盛り立てるイベントへと成長している。

2019.09更新(取材/鈴木秀晃 写真・動画/宮坂恵津子)