歴史全ての人に医療を
無医地区での無料診療

全ての人に医療を 無医地区での無料診療
無医地区での無料診療は1970年代も続いた。73年、眼科・耳鼻科医がいない鹿児島県沖永良部島へ東京のライオンズが飛んだ→『ライオン誌』1974年2月号

1960年代に発行された『ライオン誌』を見ると、毎号のようにどこかのクラブが無医地区で無料診療の奉仕活動を実施したという記事が載っている。それらは、「〇月〇日、〇〇村で診療奉仕」という1行の報告から、日記調のもの、レポートのようなものなどいろいろだ。60年代初めに約300だった日本のライオンズクラブ数は、10年間で5倍になった。その中でいくつのクラブが何回医療奉仕を行ったかというような統計は残念ながら無いが、『ライオン誌』に掲載されたのはごく一部のはずで、当時は医療にアクセス出来ない人々がまだ大勢いたこと、彼らのニーズに応えるために全国各地でライオンズクラブによる無料診療奉仕が行われただろうことが想像出来る。

こうした活動の背景には、当時医療機関の数が地域的に大きく偏っていたことが挙げられる。1950年の医療法人制度施行、1960年の医療金融公庫設立など、私立の医療機関が育ちやすい環境が整えられると、都市部では私立病院や診療所が大幅に増加した。一方で公的医療機関の新増設が抑制され、へき地と呼ばれるような場所との格差が開いていったのである。

岩手県・北上ライオンズクラブは無医地区の巡回診療を年2回実施。1965年7月のこの日は344人が受診した→『ライオン誌』1965年10月号

新潟県・小出ライオンズクラブ(後に魚沼ライオンズクラブに改名)は1964年の秋、群馬県と福島県の県境にほど近い新潟県湯之谷村の鷹ノ巣地区で無料診療を行うことにした。鷹ノ巣は最寄りの医者でも50km、助産師は40km離れた所におり、ここの住人は医師免許のある人を年に1度見るか見ないかという状況だった。ならばそれを2度、3度にしようということになったのだ。クラブ・メンバーには内科、小児科、耳鼻科、外科、婦人科、皮膚科、歯科の医師がそろっていて、事務係を含め20人で同地区へ向かった。

秋に実施したのにも理由がある。半年間にわたる豪雪の中での冬ごもりの前に診てもらえれば安心して冬が越せるという、村民らの希望があったからだ。というのも、64年の春にこんなことがあった。鷹ノ巣地区からアマチュア無線で発信された虫垂炎らしき患者の救急依頼を、町でキャッチ。警察を動員、休航中の連絡船を動かして湖の氷を割りながら進み、一方鷹ノ巣からは大人全員で雪踏みをして患者を運び出した。こうして1日掛かりで病院に着いた患者は、手術を受けることが出来たのだった。これが契機となって始められた無料診療奉仕は、地区の人々に大変喜ばれた。

宮崎県高岡町にある森林地帯を切り開いた高原の開拓村では、宮崎橘ライオンズクラブによる診療が行われた。小田元(150戸、500人)と久木野(50戸、200人)という二つの集落の小さな公民館に、クラブ・メンバーの各科の専門医らが集結し、1日総合診療所が誕生。お母さんに抱かれた赤ん坊から杖をついた老人まで、この日を待っていた人々が次々集まってきて、受診した人数は全人口の半数近い314人に上った。更に宮崎理容組合の厚意で併設されたにわか理容室も大繁盛。生まれて初めて床屋さんで髪を切ったという子どもたちなど、70人がさっぱりした頭で笑顔になった。

1969年2月、鹿児島県・串木野ライオンズクラブは2カ所で1日無料診療を行い大いに喜ばれた→『ライオン誌』1969年5月号

北海道では札幌ライオンズクラブと、同じ地域区分の7クラブ(千歳、江別、当別、札幌中央、札幌エルム、札幌アカシヤ、札幌ポプラ)が、1963年度から年に十数回の歯科を含めた診療や健康診断を実施している。ある時は自衛隊の力を借りてブルドーザーで雪を除けて道を作ってもらい、またある時は雪解けの悪路のために迂回を余儀なくされ、目的地に着くまでに3~4時間を要したこともあった。

1964年度に実施した無医村診療は合計12回、計750戸5500余人が暮らす14の地区に出向いた。受診した赤ん坊からお年寄りまで628人のうち、79%もの人に何らかの疾患があった。最も多かったのは循環器系疾患で20%、高血圧や動脈硬化、低血圧、心臓不全などだ。2番目は気管支炎や気管支喘息などの呼吸器系疾患で16.5%。3番目が消化器系疾患の15%で、そのうち3割もが慢性胃炎と診断された。精密検査や入院が必要な人も見つかった。こうした診察結果を受けて、食事を始めとした生活習慣改善、子どもに必要な栄養や歯磨き方法など、予防的な指導も積極的に行われるようになった。当時の道庁の調査では、道内には無医村が80カ所あるとされ、札幌周辺での診療奉仕に参加したメンバー医師は活動の必要性を実感、道内全域のライオンズクラブにそれぞれに近い無医村での実施を呼び掛けている。

8クラブの合同奉仕に参加した、北海道・千歳ライオンズクラブによる診療風景→『ライオン誌』1964年4月号

こんな珍事が紛れ込むこともある。診療に出向いたところ、数日前に山でキノコ採りをしていて沢に滑り落ち胸を打って、寝込んでいる老人がいると聞いた。老人宅へ飛んで行って診てみると、至急入院が必要で救急車を呼んだ。病院で調べた結果、老人はなんとろっ骨を6本も骨折していた。また、診療が終わる夕方近く、やけに外がざわついている。聞けば若い農家の嫁が初産のために町の病院に入院する予定でいたのだが、あてにしていたトラックが使えなくなり歩いて向かう途中なのだという。ひとまず診療会場で休ませ、帰路の車に乗せて病院へ連れて行った(翌朝、元気な女の子を出産したと、お礼の電話が入った)。実はこの二つは、福島県・会津坂下ライオンズクラブの1日の無料診療日の中で起きた出来事である。

「診療が終わって車に乗り込んで走り出したら、家の前に子どもたちが出てきてね、お土産にあげたキャラメルの箱を高く差し上げて、サヨナラ、サヨナラって盛んに手を振ってくれたよ」
「天気予報で山間部は雪なんて聞くと、あの老人たちは寒くて具合を悪くしてるんじゃあないかと、もう気持ちはそぞろに山間のあちこちを馳せ回ってしまうんだ」

2018.12更新(文/柳瀬祐子)