テーマ ライオンズの夢が生んだ
信州の桜の名所

ライオンズの夢が生んだ 信州の桜の名所

市街地にぽっかりと浮かび上がる桜色の小山。昔話の花咲じいさんが山のてっぺんに立って灰をまいたなら、きっとこんな桜山になるに違いない。ここはJR松本駅から南西に約3kmの所にある弘法山古墳。34年前、花咲じいさんの役を務めたのは、松本アルプス ライオンズクラブ(橋本茂会長/53人)だ。

3世紀末頃の築造とされる弘法山古墳は、標高約650mの弘法山の上にある。東日本では最古級の前方後方墳だ。全長63m、後方部は幅が33m、高さは4mで、その後方部にある石室からは鏡や鉄剣、鉄斧などが出土している。この場所をグラウンドにする計画が持ち上がった際に古墳が発見され、発掘調査によって1974(昭和49)年に国の史跡に指定された。その当時の弘法山にはニセアカシア(和名:ハリエンジュ)がびっしりと生い茂っていた。ニセアカシアは北米原産の落葉高木で、初夏に白い奇麗な花を咲かせる。日本には明治の初めに渡来して街路や公園などに植栽され、成長が早いことから薪炭材としても重宝された。繁殖力が強いために各地で野生化が進み、近年では在来種の生育を妨げるなど悪影響が危惧されている。松本アルプス ライオンズクラブが桜の植樹を計画したのは、そんな外来種の駆除が目的だったわけではない。古墳が発見されてからも、ニセアカシアに覆われた弘法山は野犬が徘徊する荒れた山だった。結成20周年の記念事業を模索していたクラブは、弘法山を市民が楽しめる桜の山にしようという大きな夢を描いたのだ。

夢の実現は困難の連続だった。結成20周年の年にクラブ幹事を務めた二木昇さんは、植樹までの苦労をこう振り返る。
「弘法山古墳での伐採と植樹には文化庁の許可が必要で、これが非常に難しかった。やっとのことで許可が下りると、今度はニセアカシアの伐採で苦労しました。切り株からすぐに芽を出すので根こそぎ取り除く必要があり、予想以上の労力と費用が掛かったのです。植樹の準備が整うまでに3年を要しました」

いよいよ植樹という段階になると、またも難問が立ちはだかった。苗木を植えるには水が不可欠だが、山には水道が引かれていない。そこで消防ポンプ車の出動を要請して近くの小川から水を引いたが、どうしても山の上までは届かない。やむなくバケツリレーで水を運ぶことになった。1984年5月13日に実施した植樹には、ボーイスカウト、ガールスカウトら地域の子どもたちを含む市民515人が参加。急な斜面に苦戦しながら、力を合わせて大山桜と吉野桜の苗木3,000本を植えた。クラブはその翌年にも2,000本の桜を植樹し、弘法山は山上の古墳部分を残して桜で覆われた。

2017年春、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター。吉永小百合さんが腰を下ろした緑の丘の下には満開の桜と市街地が広がり、遠く北アルプスの山々も見える。まるで雲海のように、周囲をぐるりと桜に囲まれた景観は、弘法山古墳からの眺め。その独特の風景は小説や漫画にも描かれている。2015年に同名の漫画を実写化した映画『Orange』には、東京から松本に転校してきた主人公に、「弘法山の桜はすごいんだぜ!」と友人たちが熱弁する印象的なシーンがある。松本アルプス ライオンズクラブが植樹をしてから34年を経て、弘法山古墳は信州でも指折りの桜の名所になった。1993年からは地元の並柳商工会(大嶋健資会長)が中心になって弘法山古墳桜まつりを開いている。今年は平年より1週間以上早く迎えた満開に合わせて、4月8日にまつりのオープニングを兼ねたコンサートが催された。期間中には絵画・写真のコンクールや短歌の募集があり、夜間のライトアップも行われ、地元はもちろん全国各地から花見客が訪れる。取材時は黒い雨雲がかかり、強風が吹き付けるあいにくの天候だったが、遠足でやってきた地元の小学生や若いカップルに混じって、外国人観光客のグループの姿もあった。

「この弘法山の桜はライオンズクラブの皆さんが地域の子どもたちと協力して植樹されたのが始まりです。これだけ見事な桜を全国の皆さんに知って頂きたいと、26年前に実行委員会を立ち上げてさくらまつりを始めました。商工会ではこれまで、ライオンズさんと協力して桜の手入れをし、子どもたちとの植樹も行ってきました」
さくらまつり実行委員会の委員長を務める並柳商工会の大嶋会長は、弘法山古墳を桜の名所として盛り立てていくために、今後もライオンズと協力していきたいと言う。

松本アルプス ライオンズクラブが植樹を行った頃には文化庁が所管していた弘法山古墳は、その後松本市の所有となった。クラブは植樹を終えた後も、年2回、春と秋の清掃活動を始め、桜の手入れや環境整備を続けている。山の上へ向かう歩道の途中に東屋を、入り口には「史跡 弘法山古墳」の石碑を建立。ふもとにある泉小太郎公園には、献眼者の慰霊碑を建て、ベンチを整備した。結成50周年を迎えた2014年には、地域の子どもたちと高校生、市民と共に大山桜100本を植樹。登り口の階段の整備や東屋の補修も行った。

「弘法山古墳は生みの親であるライオンズの元から巣立ち、松本城に匹敵する立派な桜の名所になりました。これからも清掃活動や補植を行い、先輩が苦労して植えた桜の山を守っていきたい」
松本アルプス ライオンズクラブの橋本会長はそう話す。ライオンズが夢見て、実現した古墳の桜は、これからも地域の宝として人々に愛されていくことだろう。

2018.06更新(取材/河村智子 写真・動画/田中勝明)