フォーカス 自宅を無料宿泊所に改装し
ボランティアの拠点に

自宅を無料宿泊所に改装し ボランティアの拠点に
「3・11希望の灯(あか)り」は、阪神・淡路大震災の被災地・神戸にある「1・17希望の灯り」の分灯で、福井県・敦賀みなとライオンズクラブと大槌ライオンズクラブにより作られた。八幡さんは月命日に掃除をするなどモニュメントを管理している

(東日本大震災の)津波が来た時は主人と一緒に店の2階にいました。主人は身体が不自由で逃げることは出来ません。津波で町が壊れていくのを見て、「お父さんと一緒なら」と覚悟を決めましたが、幸いなことに水は2階まで来ませんでした。窓からのぞくと、水に浮かぶ車の上にお年寄り夫婦がいらしたので、窓から手を差し伸べて部屋に上がってもらいました。その後、私の胸の辺りの高さまで水が引いたので、冷たく濁った水の中に入って他に取り残されていた方をお2人連れてきました。でも、お一人は、その夜のうちに亡くなってしまいました。その方を助けられなかったことが悔しくて悔しくて・・・。それで、この思いを復興にぶつけようって思ったんです。

桜木町ではほとんどの家が1階の天井付近まで浸水して全て泥だらけ。うちも店だけではなく、自宅も、次男が住むため改装を終えたばかりの家も、津波でやられました。それでも、何とか町の形は残りました。だから、この桜木町から大槌を復興させなくちゃって、何か一人で力んでた気がします。

桜木町にボランティアの方が入ってくれたのは3月29日のことでした。翌日、避難所に配られた新聞でそれを知ったので、早速行ってみました。すると15人ぐらいのボランティアさんが、何人かずつ手分けして、いくつかの家で片付けを始めるところでした。ただ、何から手を付けていいのか戸惑っている様子でした。そこで、ボランティアの皆さんに集まってもらい、「悪いけど、1軒1軒片付けてください」とお願いし、自分も一緒になってよその家の掃除を始めました。1軒片付けるのに4、5日掛かったかな。自分の所は後回し。店を早く再開させたかったけど、それよりもまず、桜木町を奇麗にしたかったんです。無残な姿を見るのが辛かったから・・・。

そのうち、毎朝10時になると、ボランティアさんから「今、着きました」って電話が入るようになりました。中には遠方に避難している家もあったんで、そういう人たちとも連絡を取りながら、順番に片付けを進めていきました。あちこちに泥水がたまってるのに、それに気付かず頭からかぶっちゃったり、布団なんかも塩水が入ってかびてるし、ものすごく重たいの。でも、ボランティアさんはみんな一生懸命やってくれて、本当に助かりました。

泥出しを終えた家を各地のライオンズから寄せられた支援物資の配布拠点とし、後にはボランティアの無料宿泊所に改装した

そんなことを続けるうち、桜木町を拠点にボランティア活動をされていた西本吉幸さんが、兵庫県・明石魚住ライオンズクラブの橋本維久夫さんを伴って訪ねて来られました。橋本さんは明石のお米屋さんで、うちの店の看板に書かれた「米」の字に目を留めて、同業のよしみで支援物資を置く場所と被災者への配布を打診してみようと訪ねて来られたそうです。もちろん二つ返事でお引き受けしました。すると翌日、北海道の大広直さん(倶知安ライオンズクラブ)と合流され、それぞれが車に積んで来られた寝具を店の倉庫に下ろして行かれました。更に翌日には、千葉から高橋昌男さん(松戸ユーカリ ライオンズクラブ)と髙木次雄さん(野田ライオンズクラブ)が、大量の野菜や洗濯機、自転車を持って来てくださり、夕方には茨城県の常陸太田から根本龍司さんたちが寝具やカップ麺を積んで到着。高橋さん、髙木さんも手伝ってくださり、うちはあっという間に支援物資の倉庫となったんです。

東日本大震災は被災規模が大き過ぎて、桜木町などの在宅被災者には支援物資が届かないことが多かったんです。だから、ライオンズの皆さんと出会えて幸運でした。もし、ライオンズの支援がなかったら、どうしてたかなあ・・・。多分、仕方ないって諦めてたでしょうね。在宅被災者に目を向けてくださったのが、本当にありがたかった。

その後も、ゴールデンウィークには各地のライオンズの方が来られて、被災者だけではなく、ボランティアさんのための炊き出しイベントを開催してくださったり、お盆には町の人がみんな諦めていた夏祭り開催に協力してくださったり、一人で力んでいたのが、いつの間にか多くの仲間に支えられて、復興へ向けて活動することが出来るようになっていました。

大阪のライオンズから贈られた支援物資を配布するため仕分けをする八幡さん

ボランティアさんや、復興関係の方たちの無料宿泊所をつくったのは、そんな温かい支援に応えようと思ったからです。次男が住むはずだった家なんですが、津波でやられた1階にライオンズの皆さんが持ってきてくださった善意の品がいっぱいに積まれたのを見て、ここを復興の拠点にしたいと考えました。改修費用は生命保険を解約するなどして捻出して、布団や枕などは京都の旅館から頂きました。店でお総菜やお弁当を出しているので、それを少し多めに作って、ボランティアさんには3食好きなだけ食べてもらえるようにしました。

震災から7年が経って、ボランティアの方はだいぶ少なくなりました。復興ということから言えば、ボランティアが少なくなるのはいいことなんですが、時々思い出して、大槌の復興の様子を見に来てほしいですね。

2018.05更新(取材・構成/鈴木秀晃)

やはた・ゆきこ 1951年1月13日岩手県遠野市生まれ。八幡商店代表。2011年3月11日の東日本大震災の津波で自宅と経営する食料品店が大きな被害を受けたが、所有する家を被災地支援者のための無料宿泊所に改装、ボランティアには無料で3食を振る舞い続けた。これまでに延べ2,000人以上を受け入れ、ボランティアたちからは「大槌のお母さん」と慕われる。2017年には、東日本大震災からの復興に尽力したとして日本女子大学家政学部賞を受賞した。2013年、大槌ライオンズクラブ入会。今年度(2017-18年度)会計。